生まれたとき

生まれたときは平成8年10月です。
個人病院で産むつもりでしたが、なかなか産まれなくて助産婦さんの「子宮が破裂してしまうよ」のひとことでパニックに陥ってしまいました。
もう産むことができなくなってしまって、とうとう大きな病院に救急車で運ばれて、そこの看護婦さんの「ここは人がいっぱいいるからだいじょうぶだよ」の言葉で 安心してすぐに産まれました。3058gで少し黄疸がありましたので光線を当てて直しました。他は元気な男の子でした。産まれた日の朝親ツバメが子ツバメにえさをやっている夢をみました。

赤ちゃん時代

赤ちゃん時代は手のかからない子でした。発達もなにも他の子と変わりませんでした。よく笑ってよく語りました。場所見知りが激しかったですがすぐに治りました。芸も7ヶ月くらいからいやいや、ばいばい、はーいなどよくやりました。ただ他の子と遊ばないのと喋らないのは気になっていました。早寝早起きでしたが夜泣きは一年ほどやりました。

三歳児検診の頃

三歳児検診の前に薦められて市の「言葉の相談」にいくと、児童相談所の人が来ていました。
そこで発達は半分とかいろいろきついことを言われました。初めからおかしいと言う感じで見てるのが分かりました。ふざけてやっている事さえ異常のように言われたのです。とても変な目で見ていましたね。
その前に幼稚園の体験入学をして他の子とあまりかわらないようだし本人も喜んでいたのですが「幼稚園にやるんですか?こんな子はとても我慢していてほんとは楽しんでいるわけじゃない」みたいなことを言われました。あんなに喜んでいたのに・・・
とりあえずそこで紹介された通学施設に見学にいってみました。
三歳児検診では療育センターを紹介されそこのほうがいいと薦められて結局センターに通うことになりました。

療育センター時代

とても親切なところで通園は定員いっぱいだったのですがなんとか通えるようになりほっとしました。週二回通いました。うちのクラスは全部で9人で女の子は一人です。先生が何人もついています。
いろいろなケアがあり食事の面や他の身体 的な面も検査がありました。それから毎日寒風摩擦するとか冷水をかけるとかあってそれらはノートにつけていました。
カリキュラムはボールプールやあずきプールがあったあと裸になってたわしで摩擦します。これはとても喜びました。自分でたわしをとりにいったりする練習も兼ねています。その後濡れタオルで摩擦です。そうしたら服を着て椅子に座って紙芝居などを見たり、お遊戯したりしますがこれはちょっと苦手でした。  お遊戯は好きですが一緒には踊りませんでしたし、紙芝居は退屈なようでした。その後徐々に慣 れて紙芝居も少しは見るし、踊りは終わってから一人でやったりしました。今でもそれはやります。
休憩後にまた運動したり散歩したりします。運動の部屋があって そこはとてもお気に入りでした。滑り台やブランコやトランポリンなどが好きでした。
散歩はとっても苦手でおんぶしてました。最後の方になってやっと一緒に歩けるようになりましたが歩いてるところははじめて見ましたね!
お昼ご飯は給食でした。食べるときと食べないときが激しかったですね。家では何でも食べますが・・・
食べ終わったら自由時間でその後他のクラスと合同でお遊戯や摩擦や出席シール貼りなどをします。これで一日が終わりです。合間に心理や言語訓練がたまにありました。
センターでは子供だけではなく親も通うのでお母さん方との交流があってよかったです。センターの先生方も親の相談にのってくれますし、一番苦しいときに助けられましたね。他のお母さん方とあわなかったらほんとうにつらかったと思います。それは皆さんも同じ気持ちでいる思うので心のつながりが深まったんでしょうね。だから卒園の時にはほんとうに寂しかったです。自分も一緒に卒業したのですね。